中川8丁目(昔)

昭和57年7月
港北ニュータウンのメインストリート・区役所通りの28年前の様子です。
写真は、『港北ミナモ』のある大塚の交差点付近から区役所方面に向かう道です。かつては、こんな長閑な風景が広がっていました。 正面右手の小高い山が中央公園、その左の丘が港北東急の辺りです。道はこの山で行き止まりでした。背後にゴミ焼却所(都筑工場)の煙突が見えますが、焼却場が稼動を始めるのは、この2年後になります。 港北ニュータウンの町づくりが計画されたのが昭和40年(1965)。その28年後の平成5年(1993)3月に市営地下鉄が新横浜からあざみ野まで延び、翌年11月に、旧港北区の一部と旧緑区の一部が一つになり、都筑区が誕生しました。
「緑豊かな環境の保存」と「古里を偲ばせるまちづくり」がテーマの『港北ニュータウン』。人々の憩いの場でもある緑道や自然公園は、こうした緑豊かな自然を少しずつ残して造られたのです。
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